海外事業における従業員の不正リスクとその対策
海外ビジネスを展開する上で、様々なリスクへの備えは不可欠です。その中でも、自社の従業員による不正行為は、事業の継続に重大な影響を及ぼす可能性があるリスクの一つです。特に、海外拠点においては、日本国内とは異なる環境や文化、管理体制の限界などから、不正が発生しやすい状況が生じることがあります。
このコラムでは、海外事業における従業員の不正リスクについて、その種類、潜在的な原因、発生した場合の影響、そして具体的な予防策と発見時の対応について解説します。
海外事業における従業員の不正リスクとは
海外事業における従業員の不正リスクとは、海外の子会社、支店、駐在員事務所、あるいは出向者や現地採用の従業員によって行われる、会社にとって不利益をもたらす意図的な行為を指します。これは、単に業務上のミスや過失ではなく、個人的な利益や第三者への利益供与などを目的として行われるものです。
不正行為の主な種類
海外事業で発生しうる従業員の不正行為には、様々な種類があります。代表的なものとしては、以下のような事例が挙げられます。
- 横領・着服: 会社の資金や資産を私的に流用する行為です。例えば、売上金の抜き取り、架空経費の請求、会社の備品や在庫の持ち出しなどが該当します。
- 贈収賄: 現地の公務員や取引先の担当者に対し、不当な利益を得る目的で賄賂を提供する行為です。これは現地の法令だけでなく、日本の不正競争防止法(海外公務員等への贈賄罪)にも抵触する可能性があります。
- 情報漏洩: 会社の機密情報(顧客リスト、技術情報、価格情報など)を外部に持ち出したり、競合他社に提供したりする行為です。
- 不正な経費精算: 実際にかかっていない経費を請求したり、水増し請求を行ったりする行為です。
- 競業避止義務違反: 会社の許可なく、同種または類似の事業を行ったり、競合他社と取引したりする行為です。
- インサイダー取引: 未公開の重要な会社情報を利用して、株式などの取引を行い不当な利益を得る行為です。
- カラ出張・不正な旅費請求: 実際には出張していないにもかかわらず旅費を請求したり、私的な旅行を業務上の出張として精算したりする行為です。
これらの不正行為は、単独で行われることもありますが、複数の従業員や外部の共謀者と連携して組織的に行われる場合もあり、その発見は一層困難になります。
不正が発生しやすい潜在的な原因
海外事業において従業員の不正が発生しやすい背景には、いくつかの要因が考えられます。
- 管理体制の不備:
- 日本本社からの目が届きにくい。
- 人員が少なく、一人当たりの業務範囲が広い(権限が集中しやすい)。
- 適切な権限分離(承認者と実行者を分けるなど)が行われていない。
- 内部監査やモニタリングが十分に行われていない。
- 現地の経理・財務処理が不透明である。
- 現地の文化・商慣習:
- 贈賄やリベートが一般的な商慣習として根付いている地域がある。
- 家族や友人に対する援助が優先される文化的背景がある。
- 従業員の動機:
- 経済的な困窮や借金。
- 遊興費や贅沢品への欲求。
- 会社への不満や、正当な評価が得られていないという感覚。
- 「これくらいなら大丈夫だろう」といった倫理観の欠如。
- 組織風土:
- 不正を見ても見て見ぬふりをする雰囲気が蔓延している。
- コンプライアンス意識が低い。
- 経営層や管理職が不正に関与している、あるいは黙認している。
- 採用時の確認不足:
- 現地採用における経歴や人物像の確認が不十分である。
これらの原因が複合的に作用することで、不正が発生・助長されるリスクが高まります。
不正が発生した場合の影響
従業員による不正が発生した場合、会社は様々な損失や損害を被ることになります。
- 直接的な金銭的損失: 横領された金額、不正な経費、賠償金、追徴課税など。
- 信用の失墜: 取引先、顧客、地域社会、そして従業員からの信頼を失い、企業イメージが悪化する。
- 法的責任: 贈賄規制違反による罰金、訴訟費用、事業停止命令など。
- 組織士気の低下: 他の従業員が不正を知ることで、会社への不信感が生まれ、士気が低下する。
- 事業継続への影響: 重要情報の漏洩により、競争力が低下したり、事業そのものが立ち行かなくなる可能性がある。
これらの影響は、特に経営資源が限られている中小企業にとっては、致命的な打撃となりかねません。
具体的な予防策
海外事業における従業員の不正リスクを低減するためには、事前の予防策を講じることが極めて重要です。
1. 明確なルールと体制の構築
- 社内規程・行動規範の策定と周知: 不正行為は許されないことを明確に示し、具体的な禁止事項や遵守すべき行動規範を定めます。これらの規程は、必ず現地の言語に翻訳し、全従業員に配布し、内容を理解させるための研修を実施することが重要です。
- コンプライアンス体制の構築: 不正リスク管理を含むコンプライアンス推進体制を明確にし、担当者や責任者を定めます。
2. 適切な内部統制の運用
- 権限分離の徹底: 承認権限、実行権限、記録権限などを一人に集中させず、複数の担当者で分担します。例えば、購買申請と発注、請求書処理と支払い承認、在庫管理と出荷承認などを分離します。
- 承認プロセスの明確化: 経費精算、支払処理、契約締結など、重要な業務プロセスにおける承認権限と手続きを明確に定めます。一定金額以上の取引には、管理職や日本本社の承認を必須とするなどのルールも有効です。
- 定期的なチェックと照合: 銀行口座残高と帳簿の照合、売掛金・買掛金リストの確認、在庫の実地棚卸などを定期的に実施します。
- 証憑書類の管理: 請求書、領収書、契約書などの重要な証憑書類は適切に保管・管理し、いつでも内容を確認できるようにします。
3. 監視・発見の仕組み
- 定期的な内部監査: 本社から独立した立場の担当者や、外部の専門家(会計士など)による定期的な内部監査を実施します。特に海外拠点については、不正の兆候を見逃さないためにも重要です。
- モニタリング: 経費データ、購買データ、取引データなどを継続的に監視し、異常なパターンや疑わしい取引がないかをチェックします。
- 内部通報制度: 従業員が匿名で不正行為を通報できる窓口(内部または外部の第三者機関)を設置し、制度の存在と利用方法を周知します。通報者に対する不利益な取り扱いがないことを保証し、安心して通報できる環境を整備することが重要です。
4. 採用と人材育成
- 採用時の確認: 重要なポジションの採用にあたっては、可能な範囲で職務経歴や信用情報などのバックグラウンドチェックを行います。
- コンプライアンス研修: 全従業員に対し、不正リスクや行動規範に関する研修を定期的に実施し、コンプライアンス意識を高めます。現地の文化や商慣習に配慮しつつ、会社のルールを理解させることが重要です。
不正発見時の対応
万が一、不正行為の疑いや兆候を発見した場合、迅速かつ適切に対応することが被害の拡大を防ぎ、組織への影響を最小限に抑える上で重要です。
1. 事実確認と証拠保全
不正の疑いが生じたら、まずは冷静に事実関係を確認し、関連する証拠(書類、データ、メール、目撃情報など)を保全します。証拠が失われたり改ざんされたりしないよう、慎重に進める必要があります。この段階で加害者本人や関係者に安易に接触すると、証拠隠滅につながる可能性があるため注意が必要です。
2. 社内調査の実施
初期の事実確認に基づき、本格的な社内調査を実施します。調査は、社内の適切な担当者(内部監査部門など)が行うか、事案の重大性に応じて外部の弁護士やフォレンジック専門家(デジタルデータの証拠収集・分析などを行う専門家)に依頼することも検討します。調査にあたっては、関係者からの聞き取り、書類やデータの分析などを体系的に行います。
3. 関係当局への報告・相談(必要に応じて)
贈賄や重大な横領など、法令に違反する可能性が高い事案については、現地の警察や捜査機関、日本の警察などに報告・相談することも視野に入れます。ただし、国や地域によって手続きや対応が異なるため、現地の法律専門家のアドバイスを得ながら慎重に判断します。
4. 加害者への対応
調査の結果、不正行為が確認された場合、就業規則や現地の労働法に基づき、懲戒処分を検討します。また、会社が被った損害に対しては、損害賠償請求を行うことも考えられます。対応にあたっては、現地の労働法や雇用契約の内容を十分に確認し、法的な手続きを遵守することが不可欠です。必要に応じて、現地の弁護士に相談します。
5. 再発防止策の策定と実行
不正事案の根本原因を分析し、二度と同様の不正が発生しないための再発防止策を策定・実行します。これには、管理体制の見直し、規程の改訂、研修の強化などが含まれます。
実務で役立つチェックポイント
海外事業における従業員の不正リスク管理を実務で進める上で、以下の点をチェックリストの考え方として活用できます。
- 海外拠点の従業員が、会社の行動規範や重要な社内規程(経費規程、購買規程など)の内容を理解しているか。現地語版は用意されているか。
- 経費精算、支払処理、売上処理などの業務プロセスにおいて、担当者と承認者が分離されているか。
- 一定金額以上の取引や、通常と異なる取引については、誰がどのように承認するルールになっているか。
- 海外拠点の銀行口座の動きや会計帳簿を、本社で定期的にチェックできる体制になっているか。
- 高額な経費や、特定の業者への支払いが継続している場合、その妥当性を確認する仕組みはあるか。
- 従業員が会社の情報資産(データ、書類)をどのように扱っているか、情報漏洩を防ぐためのルールや技術的対策は講じられているか。
- 不正の疑いが生じた場合に、誰に相談すれば良いか、また調査はどのように進めるか、基本的なフローは社内で共有されているか。
- 現地の法律や商慣習において、特に不正リスクが高い分野(例:許認可取得、通関、政府との取引)を認識しているか。
これらのチェックポイントを参考に、自社の海外事業の現状に合わせて具体的なリスクを特定し、対策を検討することが推奨されます。また、必要に応じて現地の弁護士や会計士、リスクコンサルタントといった外部の専門家の知見を活用することも有効です。
まとめ
海外事業における従業員の不正リスクは、中小企業にとって看過できない課題です。不正の種類は多岐にわたり、発生した場合には金銭的な損失だけでなく、信用の失墜や法的問題、組織士気の低下など、事業の根幹を揺るがしかねない影響を及ぼします。
このリスクを効果的に管理するためには、明確な社内規程の整備、適切な権限分離を含む内部統制の運用、定期的なモニタリングや内部通報制度といった発見の仕組み、そして採用・人材育成を通じたコンプライアンス意識の醸成といった多角的な予防策を継続的に講じることが重要です。
万が一、不正が発生した場合には、迅速な事実確認と証拠保全、適切な社内調査、そして現地の法令を遵守した加害者への対応を行う必要があります。これらの対策を通じて、海外事業における従業員の不正リスクを最小限に抑え、健全な事業運営を目指していただければ幸いです。