海外ビジネスにおける事業継続計画(BCP)のリスクと対策:中小企業が知るべき基本
はじめに
海外でのビジネスは、国内とは異なる様々なリスクに直面します。契約、為替、物流といった比較的イメージしやすいリスクに加え、自然災害、政治情勢の変化、パンデミック、大規模なシステム障害など、事業の継続そのものを脅かすような予期せぬ事態が発生する可能性も十分に考えられます。
このような事態が発生した場合、事業の停止や遅延は避けられません。その影響は、単なる売上減少にとどまらず、顧客や取引先からの信用失墜、復旧にかかる莫大なコスト、さらには事業からの撤退といった深刻な結果を招く可能性があります。特に経営資源が限られている中小企業にとって、こうした事態への備えがないことは、事業継続そのものに対する大きなリスクとなります。
本稿では、海外ビジネスにおける予期せぬ事態への備えとして極めて重要な「事業継続計画(BCP)」に焦点を当て、BCPがないことのリスク、海外ビジネス特有のリスク要因、そして中小企業が取り組むべきBCP策定の基本的な考え方とステップについて解説いたします。
事業継続計画(BCP)とは
BCP(Business Continuity Plan)とは、企業が自然災害、火災、テロ攻撃、システム障害、パンデミックといった緊急事態に遭遇した場合において、事業資産の損害を最小限にとどめつつ、中核となる事業の継続あるいは早期復旧を可能とするために、平常時に行うべき活動や緊急時における行動計画を定めたものです。
つまり、単に被害を最小限に抑えるだけでなく、「事業をいかに止めないか、止まってもいかに早く再開するか」に主眼を置いた計画と言えます。
BCPがないこと自体が大きなリスク
海外ビジネスにおいてBCPが策定されていない、あるいは不十分であることは、それ自体がリスクとなります。具体的には、以下のようなリスクが挙げられます。
- 事業停止リスク: 予期せぬ事態発生時に、対応方針や手順が定まっていないため、事業が長期にわたり完全に停止してしまうリスク。
- 復旧遅延リスク: どのような対策を、どのような手順で実行すれば良いか不明確なため、事業の復旧が大幅に遅れるリスク。
- 経済的損失リスク: 事業停止や復旧遅延による売上機会の損失、復旧にかかる想定外のコスト、賠償金の発生など、多大な経済的損失を被るリスク。
- 信用失墜リスク: 顧客や取引先への供給責任を果たせず、納期遅延や供給停止が発生することで、信用を失い、将来の取引にも影響が出るリスク。
- 法的・規制リスク: 契約上の義務を果たせなかったり、現地の法規制に基づく報告や対応が遅れたりすることで発生するリスク。
- 従業員の安全に関わるリスク: 緊急時の従業員の安否確認や避難、事業所閉鎖などの手順が未整備な場合、従業員の安全確保が困難になるリスク。
これらのリスクは、海外ビジネスにおける予期せぬ事態の影響をさらに拡大させる要因となります。
海外ビジネスにおけるBCP策定で考慮すべきリスク要因
国内でのBCP策定に加え、海外ビジネスでは以下のような特有のリスク要因を考慮する必要があります。
- 自然災害: 対象国の地理的・気候的特性に応じた自然災害(地震、津波、台風、洪水、干ばつなど)の発生リスクとその影響度。
- 政治・社会情勢: 政情不安、内乱、テロ、暴動、ストライキ、法規制の急変などが事業活動に与える影響。
- 疫病・パンデミック: 現地での感染症流行が、従業員の出勤、サプライチェーン、移動などに与える影響。
- インフラの脆弱性: 電力、通信、交通、港湾などのインフラが、災害時や緊急時に機能停止しやすいか、復旧に時間がかかるかといった点。
- 文化・言語の壁: 緊急時における現地従業員や関係機関とのコミュニケーションの難しさ。
- 法規制・商慣習: 現地の緊急時対応に関する法規制や、取引先との契約内容、商慣習の違い。
- サプライチェーンの複雑性: 海外の複数の国や地域にまたがるサプライチェーンが寸断された場合の影響範囲。
これらの要因は、リスクの発生確率や発生した場合の影響度、そして利用可能な対策やリソースが国・地域によって大きく異なることを意味します。
中小企業が取り組むべきBCPの基本ステップ
「BCP策定」と聞くと、大がかりなものを想像しがちですが、中小企業でも取り組める基本的なステップがあります。
- BCP策定体制の構築: まずは、BCP策定を担当するチームや責任者を定めます。海外拠点がある場合は、現地責任者との連携が不可欠です。
- リスクの特定と評価: 自社の海外ビジネスにおいて、どのような緊急事態が発生しうるか、その発生確率はどの程度か、そして発生した場合に事業にどのような影響が出るかを具体的に洗い出し、優先順位をつけます。海外拠点の所在地やビジネス内容に応じたリスク(前述の海外特有のリスク要因)を重点的に検討します。
- 重要業務の特定: 事業を継続・早期復旧させるために、最低限これだけは止められないという「中核事業」や「重要業務」を特定します。例えば、顧客への最低限の製品供給、主要な問い合わせ対応などです。
- 目標復旧時間・目標復旧レベルの設定: 特定した重要業務について、緊急事態発生後、どれくらいの時間内に復旧させるか(目標復旧時間:RTO - Recovery Time Objective)、そしてどこまでのレベルまで復旧させるか(目標復旧レベル:RPO - Recovery Point Objective、またはRLO - Recovery Level Objective)を設定します。現実的な目標を設定することが重要です。
- 対策の検討と計画策定: 設定した目標を達成するために必要な対策を検討し、具体的な行動計画を策定します。例えば、
- 代替生産拠点や仕入先の確保
- 重要データのバックアップと復旧手順
- 緊急時の連絡体制、安否確認方法
- 代替オフィスやリモートワーク環境の準備
- 資金繰り対策
- 現地従業員への教育・訓練計画
- 保険によるリスクヘッジ といった項目が考えられます。海外拠点や取引先との連携方法も明確に定めます。
- 計画の周知・教育・訓練: 策定したBCPを関係者(従業員、現地パートナーなど)に周知し、必要な教育や訓練を行います。緊急時に計画が実行できなければ意味がありません。
- 定期的な見直し: BCPは一度作って終わりではなく、環境変化(組織変更、海外情勢の変化、取引先の変更など)に応じて定期的に見直し、更新する必要があります。訓練結果から見つかった課題を反映させることも重要です。
中小企業向けBCP策定のポイント
中小企業が海外ビジネスのBCPに取り組む際には、以下の点を意識すると良いでしょう。
- 完璧を目指さず、できることから着手する: 最初から大規模な計画を立てようとせず、最も可能性が高く影響が大きいリスクや、最低限継続させたい重要業務から優先的に取り組みます。簡易的なものから始め、徐々に範囲や内容を拡充していくことも可能です。
- 既存リソース・ネットワークを活用する: 新たな投資が難しい場合でも、既存の設備、協力会社との連携、商工会議所やJETROなどの支援機関といった利用可能なリソースを最大限に活用する方法を検討します。
- 情報収集を怠らない: 外務省の海外安全情報、JETROのビジネス情報、対象国の政府機関や主要メディアの情報などを常に収集し、リスクの兆候を早期に把握するよう努めます。
- コスト効率を考慮する: 対策にはコストがかかります。保険の活用、代替手段の共有化、遠隔での対応など、コストを抑えつつ効果的な対策を検討します。
実務で役立つチェックポイント
BCP策定の第一歩として、以下のチェックポイントを自社の状況に照らして確認してみることから始めてはいかがでしょうか。
- 現在、海外で予期せぬ事態が発生した場合の対応マニュアルは存在するか?
- 緊急時の主要な連絡先リスト(従業員、現地パートナー、大使館、保険会社など)は整備され、関係者に共有されているか?
- 事業継続に必要な最低限のIT環境(重要データのバックアップ、リモートアクセス手段など)は確保されているか?
- 海外拠点や主要取引先と、緊急時の連絡方法や連携手順について事前に話し合っているか?
- 自社の海外ビジネスに関わる保険内容(事業中断保険など)は、想定されるリスクに対応しているか?
これらの簡単な確認からでも、BCPの必要性や課題が見えてくることがあります。
まとめ
海外ビジネスにおけるBCPは、予期せぬ事態が発生した場合に、事業への打撃を最小限に抑え、早期の回復を実現するための重要な備えです。BCPがないこと自体が、事業継続にとって大きなリスクとなります。
特に海外では、国内とは異なる様々なリスク要因が存在するため、現地の状況を踏まえた計画策定が不可欠です。中小企業であっても、「大がかりだから無理だ」と諦めるのではなく、まずはリスクの特定、重要業務の洗い出し、そして最低限の対策検討といった基本的なステップから着手することが推奨されます。
BCPは、万が一のための「保険」のようなものです。リスクが発生する前にしっかりと備えることが、海外での安定した事業継続、そしてさらなる発展のために不可欠と言えるでしょう。本稿が、皆様の海外ビジネスにおけるBCP策定の一助となれば幸いです。